2年の北京留学以後全然中国語を学習しなくなり、15年が経過しました。世紀が変わる頃北京に残っていた友達より「中国都市部のインフラが急速に進み、昔の耐久生活はなくなったよ」と連絡を貰い、北京へ行って目を疑いました。高速道路や洒落たレストランがあちらこちらに出来、飲み屋もゴルフ場もある、駐在しても良いかなあとも思えました。しかしその頃私の中国語能力は、万里の長城遺跡の如くピンインや四声の基礎から崩壊し、恐ろしい状態になっていたのです。中国語が聞いてわからなくなり且つ話せなくなりました。北京土話で話かけられて頭の中が白くなった後に15年前に中国語で苦しんだ記憶が蘇りました。どういうものであったかをお話します。中国語を始めて2年間は、発音が全く身に付かず、同学たちからその方面で遥かに抜かれる、中国人からは「聞いてわからない」と言われ続けました。特に幼少の頃から音楽が苦手で音痴であった私は、カラオケのリズムを取るのが下手で、何度歌い込んでも音程が狂う欠点がありました。音楽に近いといわれるこの言語を選んだ事を後悔してもしょうがありませんが、本当にひどいものでした。言葉を全く理解してもらえないつらさ、例えば北京の胡同で「トイレどこですか(厠所在那里)」と言って通じない「聞いてわからない」と言われ仕方なく人家前で立ちション、怒られ罵られて逃げ惑い近くのホテルに逃げ込もうと別の北京人に「京倫飯店在那里」と聞くが通じない、後で判ったのですがこの発音は難しいです。自信のある人は張音校長にテストしてもらってください。
でもひとつ判明しました、発音は一定の期間梅酒のように頭で発酵して溶け込まないとできないと言うことを。ということは現在やっていることが身につくのは少なくとも半年先なのです、毎日漬ける努力を積み重ねて初めて半年前の努力が実るのです、やめたら1からやり直しなのです。しかし、この努力を続行すると下手だと言われ続け馬鹿にされてきた私でも、通訳業2次試験(ネイティブとの面接/発音の悪い人を落とす試験)を突破できるのです。
中国語の実力を再建するために某通訳養成所に通い始め、文字通り一からのやり直しを始めました。中国語へ細切れ時間を注ぎ込み、毎日の学習が3時間を越えることも少なくありませんでした。営業の移動時や出張時に語学カセット・CDを聴く、昼休みにPCゲームの代わりに通訳学校の予習復習宿題をやる、いやになればやめる。昔よく言った夜の街にも行かなくなりました、しかしたまに行くときは、中国パブに行って実力試しをしました、母国語に餓えている小姐はネイティブ速度でしゃべってきます、彼女たちだけの会話にスムーズに入れたのは、最近になってからのことでした。
通訳学校では試練の日々が続きました。通訳教師から発音の欠陥を毎回の叱責、進級は無く、語法と発音で苦しめられ続けました。家族からはもうやめてほしいとも言われ、会社の仕事は机に山積み、受けた中検・TECC・HSKはことごとく惨敗、敗走ゲリラの戦いを強いられ、仕方なく習いごとに日を減らさざるを得ませんでした。中日言語学院に来たのは、同学達に発音を笑われたのがきっかけでした。ネットで調べ3−4校回った後、張音先生に電話しました。あのきれいな中国語を30分程聞いて(容姿もきれいだけれど)自分の師を決めた訳です。
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